キラキラするのもが好きな、4歳長男。
いつもいくお店に併設されている宝飾店のショーケースを、大きなおばちゃんたちに気後れすることなくひとりでぐるっと全部見て回ることもあります。
先日もひとりでてくてくキラキラを見て回り、戻ってきたので、
「どれがいちばんキレイだった?」
と聞いたところ、なんと、驚きの答えは、
「かーちゃん!!」
うわーなにその答え!4歳にして既に軟派師みたいだな・・・
とこころの中でツッコミを入れつつ思ったことがあります。
軟派師みたいな答えだなと感じているのは誰?
→ 私。
この時点で、言葉に意味づけをしているのがほかでもない私であるため、言葉を発した長男本人の意図は完全に置き去りですorz
もうちょっと噛み砕いて説明すると、長男がどのような思考でどのような思いを私に伝えたくて選び、発した言葉であるか、という部分は、結局のところ長男本人にしかわかりません。
しかし、その言葉が長男の口から出て、私の耳に入った時点で、私の「判断」が始まります。
この流れで発せられた言葉はこういう意味だ、という「判断」。
つまり、この状況でこの言葉を使った長男が意図したことが、そのまま私の「判断」と一致しているとは限らない、ということです。
言葉って、面白いですよね。
私は言葉そのものには本当の意味がないんだということが分かってから、一喜一憂することがあまりなくなりました。
もちろん未だに言われた言葉をこころで握りしめてしまい、嬉しくなったり傷ついた気持ちになることはありますが、それでもニュートラルな位置に戻ってくることが容易にできるようになっています。
言葉の意味の受け取り方について、身近な例をあげると、私の友人に、自分の外見に自信がない女性がいます。
しかし、彼女の回りは彼女のことを「かわいい」と言います。
実際のところ、私も、彼女はどちらかというと美人さんの類いに入るんじゃないかと思っていますが本人はそうではない。
この彼女に対して、本気で
「美人だね」
と言うと、どんな反応が返ってくるでしょうか。
「イヤミ言わないでよ!💢ヾ(●ε●)ノ”」
美人という言葉自体はポジティブな種類の言葉ですし、言葉を発した本人も、彼女のことを美人だと思っているから言うのですが、受け手の【思考】が受け取った言葉に全く別の意味づけをしているため、言葉を発した本人の意味づけとは正反対のものとなっています。
逆に、こんな例も。
私が若かりし頃にタイを旅行していた際に、タイの若い男性がニヤニヤしながら「アナタ、キレイネ〜〜〜」を連発してくることがありました。しかも、これ、何度もありました。
これ聞いて、片言の日本語でキレイって言ってくれた!って、嬉しくなる人も沢山いると思います。
しかし、私は本当の意味を知っていたのでそうはならず・・・・
実は、タイ語で「キレイ」と発音すると、「醜い」という意味になるのです。
つまり、これを言ってくるタイの若い男性たちは、言葉あそびをして日本人女性の旅行者をからかっているだけ、ということらしいです ・・・
(かれこれ20年近く前のお話です。今ではどうなんでしょうかね。)
上記の例えは日本語と外国語の違いはありますが、つまるところ、言葉そのものを発する人の思いと受け手の思いは、必ずしも一致しているわけではないということが見えてきます。
ここでは言葉によるコミュニケーションを例にあげて書いていますが、言葉を使わないコミュニケーションであっても同じことが言えます。
「あの人、私を見てため息ついた」
ということがあったとして、「私、何か悪いことでもしたかな」と感じることもあるかもしれませんが、単に、「あの人、疲れてるんだろうな」と感じる人もいるでしょう。
このように言葉を介する、介さないに関わらず、人と人とのコミュニケーションに於いては自分のこころの状態がどのようなものであるかによって、あるいは自分か過去にどのような体験をしてどのような思考パターンを身につけてきたかによって、意味の受け取り方や物事の捉え方が変わってくるのです。
私たち大人の世界では、コミュニケーションの際に使われる言葉や身振り、表情での表現はさまざまです。
しかし、それらに絶対的な意味づけをしているのは、まぎれもない私たち受け手です。
家族間、夫婦間、あるいは友人関係や職場などで、こんなことはありませんか?
* ついつい、言われたことをネガティブな意味にとってしまいがち
*いつも、褒め言葉を否定してしまい、上手に受け取れない
*人間関係で被害者モードになり、落ち込んでしまうことがよくある
*人との関わりで、こころが傷ついたと感じることがよくある
上記のような場合、一度ご自分のこころの状態を観察してみたり、相手の発した意味を探るのではなく、受けとる側としての自分を見つめてみると良いかもしれません。
大抵の場合、私たちは、自分の感覚が「標準」だと感じがちです。
私たちは他人のこころの中を覗いてみることができないために、人と自分の感じ方がどう違うかを比べることは容易にはできません。
だからこそ、言葉の受け手である自分と言葉を発した相手が同じ「標準」を持っているという前提のもとに、この場合こう感じて当然だ、普通はこう思うでしょ、という判断が生じ、何かを感じる過程で自分と相手の「標準」が違っているかもしれないという思いは発生しにくいのです。
しかし、実はこの「標準」は人の数だけあるし、更に言えば私たちだって日ごとに、毎時間ごと、毎瞬、「標準」を変え続けています。
両思いの恋愛真っ最中のときは何を見ても幸せなものに感じられ、失恋した時には何を見ても悲しく感じられる、ということは分かりやすい例ではないでしょうか。
このように、コミュニケーションに於ける言葉も仕草も、受け手である私たちがどのような状態にあり、「どう感じるか」によって意味づけされている部分が大きいため、自分を見つめ、こころの状態を整えることは、とても大事なことだと言えるでしょう。
これって、身体で言う風邪を引かないように普段から規則正しい生活をこころがけ、免疫力を高めようとするのと似てる気がします。^^
では、まだ言葉をうまく使いこなせない赤ちゃんや、幼い子どもとのコミュニケーションは?
を、次回書いていきますね。
カウンセリングは、こころが弱いから受けるのではありません。
定期的に健康診断を受けたり、温泉やマッサージに行ったりして自分の身体を自分で管理するのと同じで、こころの状態も健康に保つべく管理し、自分自身を慈しみ、よりよい人生を送るために活用できるもの。
つまり、✨自分の人生をより自分らしく輝かせて生きるためのもの✨なのです。
ぜひご活用くださいね。
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親教育の翻訳に関わる企画を優先させるため、
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