第一子と第三子の誕生日が今月だったので、子どもたち3人とオジサン(パートナー)とみんなで3泊のキャンプに行ってきました。
キャンプへ出発して程なく進行方向に交通事故発生、しかもまた緊急車両が到着する前の、事故が起きた直後。
救急車が来ない‥またしても即死の事故か‥と思いきや、ドライバーの方々はヘリで救急搬送(!)されたようでホッとしました。
今回は最前列でなかったため凄惨な状態を直接目撃しなくて良かったけれど、1時間ほど炎天下の渋滞に巻き込まれました。
さて、これをまた内観という位置から見つめてみましょう。
あなたはこのような状況に遭遇したとき、どのような感情を抱きますか?
*旅行の予定が狂い「最悪だ」と感じる
*事故の状況に「恐怖」を感じ、緊張感を持つ
*事故を起こし、渋滞を作り出したドライバーに対する「苛立ち」や「怒り」
*自分たちの車じゃなくて良かった、「ラッキー」
*被害者の方々やそのご家族にこころを寄せ、「祈るような気持ち」
*自分や家族のいのちに思いを馳せ、今生きていることに「感謝の念が湧く」
いかがだったでしょうか?
どれが正解でどれが間違いということではありません。
ただ、違っているということだけです。
この他にも、人の数だけ何通りもの思考や感情が沸き起こると思いますし、複数の感情をもたれることもあるでしょう。
そして、こころの中に沸いたこれらの「思い」は眼に映るもの、つまり外側の現象への感じ方を変えているのです。
例えば「最悪だ」と感じたら、その後の運転はあまり気分良くいかず、焦るような気持ちに支配されがちです。
他の車が自分の車線に入ろうとしても、気持ちよく譲るほどの心のゆとりは生まれないかもしれません。
「感謝の念が湧く」としたら、こころ穏やかに安定した気分で運転を続けられ、他のドライバーへの配慮も生まれやすくなるかもしれません。
このように、私たちは皆自分がどう思考し、どう感じるかで人とは全く違った世界を目撃し、個人個人全く違う体験をしているのです。
つまり、私がこの時体験したことは、同じ車に乗って同じものを見て、同じ気温の中同じ時間渋滞に巻き込まれていたオジサン、長女、長男、次女とは全く異なる体験だったのです。
同じ車内にいて、同じ状況を目撃し、同じ気温で同じ時間だけ待った私たちが、
「全く違った体験をした」
とは考えにくいでしょうが、それが事実なのです。
もう少し正確に言えば、事実はひとつではなく、人の数だけ存在しているのです。
「あの事故のせいで予定が狂った(怒」も、
「あの事故、怖かった〜」も、
「あの事故に巻き込まれなくて良かった」も、
「病院に運ばれた人たち、早く元気になるといいね」も、
どれも正しいこころの動きです。
さて、これを人間関係や夫婦関係に当てはめてみるとどうなるでしょうか。
例えば夫婦関係のすれ違いでよく言われるのが「所詮他人だから」という言葉。
まさにこれ!
でもね、もうちょっと言えば、他人のみならず自分の家族でさえ意見は違っています。
親やきょうだいと衝突したことがない人はまずいないのと同じように、自分と全く意見の合う人もまた、いないのです。
みんながみんな、毎秒ごとに全く別々の体験をしているのに、それを「同じ体験をした」と勘違いしているだけなのです。
自分と夫、あるいは妻、上司、友達、子どもは「所詮他人」というところからもう少し突っ込んで、
「私たちは同じ空間にいながら毎秒ごとに違う体験をし、別の真実を見ている」という認識を持ち、同じ感覚で同じ感情を抱いていると思うのは「勘違い」だと認識する。
この部分だけでもしっかりと理解できたら、夫婦関係のすれ違いや人間関係の苛立ちはかなり緩和されますよ。
相手の考えや感じ方を機にするのではなく、自分の考えや感じ方に目を向けてみる、これが内観です。
カウンセリングは、こころが弱いから受けるのではありません。
定期的に健康診断を受けたり、温泉やマッサージに行ったりして自分の身体を自分で管理するのと同じで、こころの状態も健康に保つべく管理し、自分自身を慈しみ、よりよい人生を送るために活用できるもの。
つまり、✨自分の人生をより自分らしく輝かせて生きるためのもの✨なのです。
ぜひご活用くださいね。
*お知らせ*
親教育の翻訳に関わる企画を優先させるため、
しばらくカウンセリング業務はお休みします。
再開時期が決まりましたらお知らせいたします。
赤ちゃん手話×おむつなし育児講座は、
開講準備が整い次第、お知らせいたします。
◎お問い合わせはこちらよりどうぞ
◎コミュニケーションのヒント