あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
みなさま、大晦日の除夜の鐘は聞きましたか?108もある煩悩は、できることなら年越しさせずに置いてきたいものですが・・。
私が住む小さな町には除夜の鐘はおろかお寺などないし、アメリカのお正月休みは1日だけ!
今年は元日が日曜日だったため、翌二日は振り替え休日となりましたが、通常は元旦のみ祝日で、翌日からお店も学校も普通に始まります。
私はまだまだこの感覚になじめず、未だに一人で正月気分ですが✌️
さて今年最初の記事は、除夜の鐘にちなんでちょこっとお釈迦様の知恵を拝借しつつ、こんなお悩みについて書いていきましょう。
「旦那が子どものことに無頓着(むとんちゃく)で困る!子煩悩になってほしい!」
子どものことに無頓着なお父さん・・・。
旦那さんに子どもの習い事について相談しても全く興味をもってくれず、いっつも仕事優先で学校行事にはぜんぜん参加してくれない〜なんてことがあったら、お母さんとしては子煩悩なイクメンパパがうらやましくなっちゃいますよね。
ではそもそも「無頓着」という言葉、どんな意味なのでしょうか。
普通はあまり良くない意味合いで使われるこの言葉は、もとはと言えば仏教用語だそうです。
「頓着」という言葉はもともと「貪著」からきているそうで、貪著とはいくらあってもまだまだ欲しがるとか、ものごとに執着したり、むさぼったりする意味なのだそうです。
つまり、ネガティブな意味合いです。
それに「無」をつけると反対の意味になるため、「無頓着」とはもともとの意味からしたらものごとに執着せず、むさぼらない、という肯定的で、非常に良い意味となるのです。
しかし前述した通り、私たちが普段「無頓着」と言う言葉を使うときは、本来の意味とは正反対の、良くない意味として使用しています。
さてもうひとつ、今度は「子煩悩(こぼんのう)」という言葉を考えてみましょう。
この言葉は「子煩悩なお父さん」という風に使われ、母親が子煩悩、という表現はされません。
言葉の意味は、子どものことをかわいがり、よく世話をして育児に積極的に参加するお父さん、というような非常に良いイメージがあります。
が、この「子煩悩」ということば、「煩悩」の部分を見て分かる通り、「無頓着」と同様もともとは仏教用語です。
「煩悩」を辞書で調べてみると、こんな風に説明されています。
《(梵)kleśaの訳。苦悩・心痛の意》仏語。
身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用。
貪 (とん) ・瞋 (しん) ・痴 (ち) は根元的な煩悩として三毒という。
染。結。垢 (く) 。
「煩悩にさいなまれる」「煩悩を解脱する」
心身を苦しめ、けがす精神作用??
えー!
子煩悩って、じゃあどういうことなの??
☞ 子どもに対する執着や、子どもに関することでこころを惑わされること、などと言えると思います。
しかしこれ、子育てには必須の感情であって排除はできないような・・・。
それにしても言葉って面白いですよね。
本来その言葉が持つ意味とはかけはなれた、全く正反対の意味をもつことがあるなんて。
では、今度は無頓着なお父さんと子煩悩なお父さんを分析してみましょう。
無頓着なお父さんは、お母さんが子どもの父親としての役割を期待するとき、イメージしたものとはちょっとズレてまうことが多いかもしれませんが、お母さんの育児に口出しすることは頻繁にはないようです。
子煩悩なお父さんは、子どものことをかわいがり積極的に育児に参加してくれるけれど、その反面お母さんが選ぶ育児方法とは対立が起きたり、必要以上に子どもを心配してしまうことがあるようです。
コインには必ず裏と表があるように、無頓着も子煩悩も、良い部分とそうでない部分を含んでいます。
これはちょうど、言葉の意味としてふたつの両極端な正解があるのと同じことですね。
私たちが誰かのイヤな面を見つけてしまった時、その人が身近な存在である場合は特に、そのことが頭から離れなくなったり、そのことにとらわれてしまいがちですが、これこそが頓着し、執着し、煩悩としてしまっている状態です。
私たちはネガティブな部分にばかり焦点を当て続けてしまうと、そういったことばかりが目に入りやすくなるようにできているため、その状態を引きずってしまいがち。
言ってみれば、自分でどんよりした色のサングラスをえらび、かけている状態です。
コインで言えば、表しか見えず、裏側が見えていない状態。
一旦相手への文句モードに入ってしまったら、そこから抜け出すのが難しくなってしまったり、相手の悪い点がどんどん見えてきてしまうのは、当然のことなのです。
こんなとき、「相手が変わってくれたらいいのに」と感じることがありますよね。
これはもちろん、誰しも抱く感情です。
しかし、問題となっているのは実は外側(相手の行動)ではなくて、あなたのこころの中であることを認識できると、見えてくる世界がガラッとかわります。
「今まで相手のこの行動が問題だと感じていたのに、あれ?同じことされてるけど全くイラっとしない!」
というようなことが、自分のモードを変えることによって本当に起こるのです。
逆に、相手の問題だと感じている部分が変わったとしても、つまり、たとえ相手が自分の都合にあわせて変わってくれたとしても、自分の内側に変化が起きない限り、また別のイヤな点を見つけ出して終わりのないイライラ螺旋を描いてしまうことがあります。
私たちが文句モードを採用している限り、ひとつの問題が解決したとしても、新たに何かしら問題を見つけようとする作用が続くためです。
ではどうやったら今設定している焦点を外し、文句モードから脱することができるの?
方法は種々ありますが、シンプルに言えばこんなやり方です。
1)自分が色眼鏡をしていることに気がつき、
2)それを外し、
3)視線を中立な位置に戻してまっさらな目でものごとを見る。
ちょっと抽象的な表現になってしまいますが、これは自分のこころの中をしっかりと見据えた上で整理する方法で、これも内観です。
言葉を変えると、「過去に固執しないこと」とも言えるでしょう。
過去に相手との間に起きたイヤな出来事や困ったことをこころの中に握りしめてしまうと、その人のことをその枠の中でしか見ることができませんが、その出来事はもう既に終わっており、今は全く新しい瞬間が生まれているのです。
私たちが視線を中立な位置に戻すということは、即ち過去の感情をまっさらな「今」という瞬間に引っ張り出してこない、ということと同じです。
この作業をすることにより、今まで見えて来なかったコインの別の面を見つけることができたり、今までかけていたサングラスの枠の外にあるものに気がついたり、という現象が出てきます。
具体的に言えば、これまで感じていた旦那さんの「子どものことに無頓着」な部分が、逆に「うちの旦那、おおらかで助かる!」という風に見えてきたり、今まで「もー、本当にイライラさせられる!」と感じていた相手の行動に対し、イライラを感じることなく対応できたり、という変化を感じられるでしょう。
夫婦関係であってもその他の人間関係であっても、良い面しかない関係性は存在しません。
逆を言えば、悪い面のみの関係性もまた、ありません。
私たちがどちらの面に焦点を当ててみているのかによって、見えてくるものや感じられるものが変わってくることを理解し、更にそのことを(頭での理解だけではなく)体感することができれば、自ずと人間関係で起きる問題がそもそも問題ではなかったことに気がついたり、人間関係でこころを煩わされることが少なくなってきます。
新たな年がはじまり、気持ちも新たに、夫婦関係や家族関係、苦手だなと感じる同僚やママ友との関係性を、中立な視点で見つめ直してみてはいかがでしょうか。
嬉しい気づきがあるかもしれませんよ💡
カウンセリングは、こころが弱いから受けるのではありません。
定期的に健康診断を受けたり、温泉やマッサージに行ったりして自分の身体を自分で管理するのと同じで、こころの状態も健康に保つべく管理し、自分自身を慈しみ、よりよい人生を送るために活用できるもの。
つまり、✨自分の人生をより自分らしく輝かせて生きるためのもの✨なのです。
ぜひご活用くださいね。
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