昨日の記事に内観について書きましたが、今回も別の視点からこころの見方を書いていきます。
キャンプ中、こんな出来事がありました。
キャンプ場での朝、パートナーのオジサンが外でコーヒー片手にぼんやりしていたら、大きなキャンピングカーが舗装された小道をゆっくりとオジサンの方向へ向かってきたのだそうです。
大きなキャンピングカーって、かなり大きいです。
日本の路線バスみたいな大きさ。
大きな車体はゆっくりとカーブにさしかかり、小道の脇、キャンピングカーの内輪側に駐車していた別の車の脇を通り過ぎたあとにわき腹に接触しそうになったためオジサンあわててドライバーに「止まれ〜〜〜!」と声をかける。
しかしキャンピングカーは止まらずに、そのまま進行したため案の定駐車してあった車にぶつかったそうです。
かいつまんで言うと、駐車していた車は、なぜか小道にはみ出して駐車していた。
ぶつかったキャンピングカーは、目の前で「止まれ」の合図があったにも関わらず止まらなかった。
さて、ここでも内観です。
「私」はこのとき、何を感じて何を思考したのか?
1)車がぶつかったとき、私はてっきりキャンピングカーが一方的に悪いのだと感じ、ぶつけられた車(駐車していた車)のオーナーに同情しました。
2)しかし、あとで駐車していた車が道路にはみ出していたのを見て、あの車がはみ出してたからぶつかっただろうにと結論づけ、逆にキャンピングカーのドライバーに同情する感情が生まれてきました。
3)その後、オジサンから「あのドライバーにぶつかるから止まれって言ったんだよ、身振り手振りで一生懸命。なのに止まらなかった。」という話を聞き、あれれ?そうか、ドライバーがオジサンの指示に従って止まってれば問題は起こらなかったのではと、またしても考えが動くのでした。
4)その後は思考がニュートラル(中立)な位置にもどり、私の知らない情報もあるのだろうし、私はただひとつ、車同士がぶつかったという事実だけを認識していて他の判断は不必要だというところに落ち着きました。
上記の思考の動きはほんの一例ですが、これと同じように、私たちは誰しも毎秒ごとにめまぐるしく思考を動かしています。
その活動によって判断が生まれ、こうしよう、ああしようという決断や日々の行動が生まれていくのですが、厄介なのは、自分で思考し物事を断定していくことで自分のオリジナルストーリーを生み出してしまう、ということ。
しかも、それがあまりにも真実味を帯びているため、そのほかにある「真実」を見落としてしまっているということ。
例えば私が車同士がぶつかった瞬間だけを目撃したら、ぶつかったという出来事だけを観ずに瞬時に意味を付け始めます。
その結果、
「キャンピングカーが悪い」
という事実を作り上げ、それだけを見続ければその後もその事実に沿ったストーリー展開を目撃し始めていたでしょう。
一度「この人が悪い」と結論づけると、なぜかその人の表情やちょっとした仕草からも悪い人オーラを感じ始めたりしますし、ひとつの情報に固執してしまうと、他の情報があっても受け取らない可能性がありますから。
では、自分の思考に騙されないようにするにはどうしたらいいの?
*自動的に生まれてくる自分の思考と判断した内容に常に気がづき、それが本当ではないかもしれないことを意識する。
*本当は自分は何も知らない、ということを知る。
*自分が目撃した真実は「真理」ではないことを認める。
これらを意識するだけで、物事やできごとの捉え方や、抱える悩みの質が変わってきます。
内観は、いつでもどこでもどんな出来事からでも始められ、何かこころにひっかかりがあるときは特に、内観のチャンスですよ。
それにしても最近事故多いな〜・・
みなさまどうぞ安全運転で!
カウンセリングは、こころが弱いから受けるのではありません。
定期的に健康診断を受けたり、温泉やマッサージに行ったりして自分の身体を自分で管理するのと同じで、こころの状態も健康に保つべく管理し、自分自身を慈しみ、よりよい人生を送るために活用できるもの。
つまり、✨自分の人生をより自分らしく輝かせて生きるためのもの✨なのです。
ぜひご活用くださいね。
*お知らせ*
親教育の翻訳に関わる企画を優先させるため、
しばらくカウンセリング業務はお休みします。
再開時期が決まりましたらお知らせいたします。
赤ちゃん手話×おむつなし育児講座は、
開講準備が整い次第、お知らせいたします。
◎お問い合わせはこちらよりどうぞ
◎コミュニケーションのヒント