東日本大震災から、5年が経ちましたね。
被害者の方々のご冥福をお祈りするとともに、
被災された方々へ、家族を亡くされた方々へ、
心からお見舞い申し上げます。
今日から数回にわけて、震災に関する振り返りと
被災後の心理について書いてみますね。
私たち家族は1010年の秋に宮城県に中古の家を買い、
忙しい東京から自然ゆたかな土地へ引っ越しました。
引っ越し後、始めての春を迎える2011年3月、被災しました。
田舎暮らしでゆったり家族時間を楽しもうとした矢先であり、
被災するために引っ越したかのようなタイミング。
私の人生が大きく変わるできごとでした。
私たちが住んでいた栗原市は、この震災で
唯一震度7を記録した場所です。
正確に言えば、私たち家族が住んでいた地区は
震度7ではなく6でしたが、とにかくとてつもなく大きな揺れで、
震災発生時にどうやって家の外に避難したのか記憶がないほど
衝撃的な体験でした。
もちろん家の中は惨憺たる様子ではありましたが
幸いなことに倒壊することなく残りました。
引っ越し当時、旦那さまが
「地震に備えて黒電話にしよう」と提案していたため
震災直後は電話が使えました。
(宮城県は三陸沖地震や内陸地震が定期的に起こります)
ダイヤル回線なんて未だに使ってる家あるのかしらと思うけど、
災害時には強いです。
NTTが回線を閉鎖するまでの間、
東京の家族に何度か電話できたことは大きかったです。
元旦那、グッジョブ( ・∀・)=b
しかし、その後の度重なる余震が軒並み震度5クラス。
数日間は15分おき、20分おきという頻度で余震があり
家がいつ倒壊するか、という恐怖の連続でした。
4月7日の最大余震は震度6強で、本震よりも強烈だったと
記憶しています。
震災当時は非常に寒い時期でした。
しかし電気、水は途絶え、石油ストーブも余震のため使えず。
心細く、寒く、当時2歳だった我が子をどうやったら守れるのか、
とにかく不安だらけ。
水道がないため初日は雪を溶かし、ザルで大きなゴミを濾して
子どもに与えました。
翌日からは敷地の奥にあった古い井戸をあけ、
中の水がどれほど清潔かはわからなかったものの、
バケツにロープを結びつけ、水をくみ上げて飲料用にし、
他に水が必要な方々へ配ったりもしました。
その後、福島の原発が爆発したというニュース。
もちろん電気がないためテレビは見られません。
人づてに聞いたり、新聞屋さんが号外として発行したものが
どうやって私たちのところに届いたのか、
近所の方に見せてもらい、心底驚きました。
情報がないって、水や食糧がないことと同じく
非常に辛いことです。
疑心暗鬼となり、不安が常につきまといます。
震災時には、「ストレスが大きい」どころか
自分自身が「ストレスそのものに変容」
していたと思います。
(つづく)
カウンセリングは、こころが弱いから受けるのではありません。
定期的に健康診断を受けたり、温泉やマッサージに行ったりして自分の身体を自分で管理するのと同じで、こころの状態も健康に保つべく管理し、自分自身を慈しみ、よりよい人生を送るために活用できるもの。
つまり、✨自分の人生をより自分らしく輝かせて生きるためのもの✨なのです。
ぜひご活用くださいね。
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