今日はちょっと不思議なお話です。
心理学的な見地に基づいたカウンセリングに比べると、レイキやカラーセラピーは、括りで言えば若干スピリチュアルですよね。
私自身はどんな人かというと、それほどスピリチュアルな傾向にはいないという認識ですが。(自己判断)
一時期本当に参ってしまった時期(被災→産前産後の鬱→別居→泥沼離婚…)にはスピリチュアル方面に魅力を感じ、ハイヤーセルフだとか大いなる創造主だとかそういうものを学んだ時期がありました。
それはそれでいろいろと勉強になって良かったのですが、本来の私にはあまりしっくりきていなかったようで、自分の状態が落ち着いた頃には自然と物理的で現実的な方面に戻ってきました (^^)/ タダイマ〜
そうはいっても人間って生命体であり、やはり神秘的な活動体ですよね。
私自身の不思議な体験をご紹介します。
小学生の時だったかな、急にたくさんの出血を起こしたことで腎臓の異常が判明し、それ以降20年近く大学病院で経過観察に通っていたことがあります。
なぜ出血を起こしたかと言うと、生まれつき腎臓のひとつが萎縮した小さいままで成長しておらず、当時最新鋭だったと思われる造影剤を使った検査では、多少の血流は認められたものの機能停止状態で、もう片方の腎臓が全ての処理をしているために、身体的な負荷がかかるとひとつの腎臓では処理がしきれないという状態でした。
いい加減大人になってきたころ、医師からは
「結婚しても妊娠、出産はしないほうが良い。
もしするのであれば相談して。
完全に管理した状態でなら
大丈夫かもしれない。」
と告げられました。
その時感じたのは、
「へー、そうなんだ。」
子どもが欲しいという欲求はおろか結婚願望すらなかったため、悲劇的な感覚は全くありませんでした。
しかし、自然な流れで人生の中に結婚という選択肢が出てきます。
お相手には
「私は腎臓に欠陥があるため
子どもは産まない。」
と伝えた上で結婚。
この方は離婚した前夫ですが、とにかく包容力のある素晴らしい方で、彼自身の子どもが欲しいという強い気持ちをぐっとこらえて私の状況をまるまる受け入れてくれたのでした。
そして検診時には医師に結婚したことを伝え、腎臓の機能検査を受ける。
片方の腎臓しか機能していないため、数値はやはり、ものすごく低い。
妊娠はやめといてねという医師。
しかし結婚後数年経ち、なぜだか子どもを産んでも大丈夫な気がしてきて、妊娠。
そして知人からはこんな助言が。
「身体の調子に不安があるなら
赤ちゃんにお願いすると良いよ。
お母さん、
腎臓に負担をかけられないから
手伝ってねって
毎日語りかけると良いよ。」
この助言を疑いもせず実行。
そして検診に行くと、不安そうな医師の顔。
「え、妊娠したの?」
という反応。
「まず間違いなく強い妊娠中毒症になります。
無事それを乗り越えて出産に至るとしても、
長期入院の完全管理出産になりますよ。」
とガッツリ釘をさされ、完全に凹みました。
そして腎機能検査の予約を入れる。
後日検査した結果はと言うと、
医師:
「・・・(しばらく無言)・・・
数値を見ると、
妊娠前よりも良くなっています。
しかも、なぜか
妊娠していない人の平均数値よりも高い・・
なぜこうなったのか
全く理由が見当たりませんが
妊娠に関わる腎機能としては
今は何の問題もありません。」
妊娠中毒症はどこ吹く風。
その後無事に元気な赤ちゃんを出産しています。
そして数年後、第二子妊娠。
その時も念のため大学病院にて腎臓の検診を受けました。
今回は超音波でリアルタイムに腎臓の血流を確認できるということで、その検査を受けることに。
この時の結果が更にすごい。
超音波の技師さんからはこんな風に言われました。
「どちらの腎臓が
どうなってたんですか?
両方ともほぼ同じ大きさで、
両方の腎臓ともに血流は正常です。」
つまり、生まれつき成長せずに萎縮し、全く機能していなかった腎臓が大人になってから(というより第一子を妊娠したあたりから)急速に成長をはじめ、いつの間にか通常通りの機能をするようになっていた、ということが医学的な技法によって証明されたのです。
そんなわけで、二度目の妊娠も問題なく出産に至りました。
第三子の妊娠時に至ってはもはや腎臓検診すら受けていませんが、尿蛋白も何も出ず無事に出産しています。
自分自身のこういう体験を振り返ると、人生ってそのまんまスピリチュアルだなと感じるのです。
医師はなぜこういうことが起こったのか説明してくれませんし、かと言って私がどうしてこういうことが起こるのか、その構造を理解している訳でもありません。
医学を信じ切って「自分は赤ちゃんを産まないほうが良いのだ」という決断を、人生をかけて貫き通すこともできたでしょう。
しかし、何だかよくわからない直感のようなものを人生の中に採用し、その結果説明のつかない事象を現実のものとすることもまた、私たちには可能なのです。
結論として、今は
「この一線を超えるとスピリチュアル」
なんていちいちラベルをつけることは要らないのかな、と感じています。
むしろもっと自然に、概念的なことより自分の直感や気持ちに忠実に、その都度やりたいことをやって自分流にアレンジしながらオリジナルに作り上げていくのが人生なのではないか、と。
自分で自分にかけた呪縛のようなもの、不要な思い込みは誰しもいくつも抱えています。
それが解けた時、またそれを解いた時、私たちは思いがけない体験をすることがあります。
それを奇跡だと捉えるのか、それとも気づかないほど自然に受け取るのかは、その人次第でしょう。
私のように、気がついたら治るはずのない腎臓が治っていたということもあるでしょうし。
スピリチュアルなのか現実的なのか、そういう区分もまた自分にかける鎖のようなもので、自分の人生の可能性を閉ざしている要素の一つなのかもしれません。
「アレコレ考えずにやりたいことをやる」
「勇気を持って直感を採用する」
このことは、自分の人生を自分で作り上げる上でとても大事。
生きている以上悩み事は尽きませんが、私たちに残されている時間は有限です。
その限られた時間をどう使うかはあなた次第。
外側に翻弄され他人の顔色を伺って自分を押し殺し、ストレスにさらされ続けて生きるのか。
それとも勇気を持って自分の内側の想いに耳を傾け、やりたいことに挑戦し、最期に素晴らしい人生だったなと振り返るのか。
その選択権限は誰にもなく、あなた自身が握りしめているんですよ。
カウンセリングは、こころが弱いから受けるのではありません。
定期的に健康診断を受けたり、温泉やマッサージに行ったりして自分の身体を自分で管理するのと同じで、こころの状態も健康に保つべく管理し、自分自身を慈しみ、よりよい人生を送るために活用できるもの。
つまり、✨自分の人生をより自分らしく輝かせて生きるためのもの✨なのです。
ぜひご活用くださいね。
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