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前置きが長くなり(すぎ)ましたが、いよいよ本題に入ります。
*予防接種の副反応が気になる
*ワクチンに含まれる添加物が気になる
などなど、子どもに受けさせる上で心配になる点はいくつも出てきますよね。
かと言って、全く受けないというのもな…いざ病気にかかったらどうしよう、という心配が出てくる。
もちろんその両方を天秤にかけ、重たくなった方を選択していくという方法もあるでしょう。
仕事が休みづらく、保育園でガンガン病気をもらってこられては困るからできる限り接種させるという選択肢だってあるし、逆に、保育園には行っておらず他の子どもと接触する機会は少ないし、いざ病気になっても主婦だから看病できる、という場合もあるでしょう。
また、予防接種を受けさせたことによって出た副反応に後悔するより、予防接種を受けさせずにその病気にかかった場合の方が納得して前に進めそうだ、という指針もアリだと思います。
考え方によっては副反応が出る確率と病気になる確率(パーセンテージ)を比較するということがありますが、私はこの方法はとっておりません。
確率、割合、パーセンテージなどの数字は、あくまでも個として見たものではなく全体をまとめたものです。
私たち親が、個としての我が子を見たとき、これらの数字はどの程度役に立つか?
具体例をあげて考えてみましょう。
私は近視が強かったため過去に視力矯正のためのレーシック手術を受けたことがあり、術前の説明はこのようなものでした。
「98%の確率で、視力が1.2を越えます」
しかし、蓋を開けてみたら、術後の視力は0.4。
1.2からは程遠い数字です。
のちに最高0.7まで回復したものの、ここにパーセンテージを持ち出すのなら
「2%の狭き門に入りました!」
と言えますね(^^;;
視力が確定したあと、院長先生からはこんなお言葉を頂戴しました。
「カーブの形成は成功して計算上1.2以上出るはずなのに、脳がそれを認識しないらしい。非常に珍しい症例なので、学会で発表してもイイ?」
お分かりでしょうか。
要は、確率とは全体を見た時の数字でしかなく、自分自身や我が子がその状態になった(=超珍しい症例を呈したり、数百万人に一人と言われるような重篤な副反応が出たりした)時は、個の目線で言えば紛れもなく「100%」の結果なのです。
個としてみればレーシック手術一回につき一回の目標不達成、予防接種一回につき一回の副反応、ということですから。
確率が低いだの高いだのというのは全体を統括する側が出す数字に過ぎず、私たちが個として持つ目線とは大きく異なるということを認識しておいた方が良さそうだということが見えてきませんか?
もう一つ、私が予防接種を考えたときに使う視点は、やはり全体と個という捉え方です。
国は、国民を全体として守ります。
私たち親は、かけがえのない我が子を全体としてではなく、個人として守ります。
予防接種を受けるという選択肢は、自分の子を病気から守るというだけではなく、他の子どもの感染をも防ぐことにつながるかもしれません。
予防接種を受けないという選択肢は、他の大多数が予防接種を受けてくれているからこそ成り立つ選択肢である、という見方ができます。
過去に日本でポリオが大流行した際、政府が数カ国から生ワクチンを緊急輸入してくれたからこそ助かった子どもたちが多くいたとされていますし、その後も国がしっかりと予防接種制度を続けてくれたおかげで今では日本にいればポリオは気にしなくても良い世の中になっています。
つまり国は大きな単位で子どもたち(ひいては国家そのもの)を守る役目を担っており、私たち親の目線(数十、あるいは数百万分の一の重篤な副反応や薬害、添加物などから起こりうる弊害を気にする視点)とは全く別の方向を見ているのです。
この部分をしっかりと認識できていれば、国の方針や行政の指導(接種をしつこく勧めてくる)に理解を示すことができるし、それとは切り離して自分の子どもがどの接種を受けるか受けないかを決めやすくなるのではないでしょうか。
予防接種を受けない、あるいは遅らせると決めるのであれば、周りで予防接種を受けている子やその家族に感謝の気持ちが出てきますし、逆に迷った挙句に受けると決めた場合、全体と個という視点さえあれば、受けない選択肢をとった家族に批判的な気持ちは出てきづらくなるでしょう。
ここのところも大事なポイントだと思います。
では、どうやって受ける、受けないの見極めができるようになるか?
個人的な見解でしかありませんが、私が大事だと思う点は以下の三点です。
① ワクチンについて納得できるまで調べきること
② 夫婦間でよく話し合うこと
③ 私たち親が子をしっかりと見て感じること
③は、つまりはこういうことです。
うちの第二子は予定日の三週間ほど前に出てきてしまい、出生時の体重は2600gほど。
おっぱいを飲む力が弱く、ゲップもうまく出せずに昼夜を問わず飲んでは吐きを繰り返し、特に新生児の頃は本当によく泣く赤ちゃんでした。
第一子の生命力とは少し違ったものを感じており、予防接種に関しては迷わず「受けない」を選択。
逆に、小さく生まれて未熟な部分があるからこそ免疫をつけてあげたいと感じれば、きちんとスケジュール通りに予防接種を受けさせるという判断だってもちろん正解となるでしょう。
これが、親として子をしっかり見て判断する、という部分です。
日本における予防接種は、かつては義務でしたが今は義務ではありません。
予防接種には「定期接種」と「任意接種」という名前があるので、「定期接種」は任意ではない、つまり義務であるという解釈が生まれがちですが、これは誤りです。
今は「努力義務」、つまり予防接種を受ける、または受けさせる努力をする義務、平たく言えば子の接種は親が決めなさいということ。
この変更がなされた理由はさまざで、ひとつには医療技術の向上により、万一特定の伝染病に罹患したとしてもそれなりの治療を受けられるとか、衛生状態や国民の栄養状態が悪かった時代とは違い、今は罹患しにくくなったということがあるようです。
しかし裏を返せば、国が義務としてしまうと副反応が出た場合にその多くを保証しなければならなくなるが、親の責任のもとに受けさせるということにすれば、ワクチン接種との関連性が強く疑われる一部の副反応以外は面倒みなくていい、という側面もあるようです。
仮に重篤な副反応が認められて救済措置が取られたとしても、子の健康はすでに損なわれてしまっているので、陰謀説的なことにこころを煩わせるのではなく、やはり目の前の子をしっかりと見て、医者任せ行政任せにせず、受けさせる受けさせない、あるいは受けさせる時期については慎重に決めたいものですね。
ここまで書いて、長すぎるというほど長くなってしまい一旦終了にしますが、まだ書けることがありました。。
次回は補足として、予防接種に不安を抱く親の心理的な側面と、私がアメリカに住むようになってから知った接種後の対策についてちらっと書いていきます。
※この記事は予防接種陰謀説、つまり予防接種全般は何の病気も予防しないとか、添加物まみれで逆に毒になるだけ、一部の製薬会社が儲けるためだけに実施している等々、その方向の考え方には基づいておりません。性善説的に、子どもたちを病気から守るためとか、社会的に予防できる病気があるために実施されているものという前提で記述しています。
カウンセリングは、こころが弱いから受けるのではありません。
定期的に健康診断を受けたり、温泉やマッサージに行ったりして自分の身体を自分で管理するのと同じで、こころの状態も健康に保つべく管理し、自分自身を慈しみ、よりよい人生を送るために活用できるもの。
つまり、✨自分の人生をより自分らしく輝かせて生きるためのもの✨なのです。
ぜひご活用くださいね。
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