6月が終わり、もう今年の半分が終わった・・・・
早い!
毎年どんどん早くなる気がするのは私だけでしょうか。
子どものころは時間がゆっくり流れていたのになぁ。
遅ればせながら、ご報告です。
6月に開講予定だとお伝えしていた赤ちゃん手話×おむつなし育児講座は、記事の末尾に記載している通り開講を延期します。
開講時期は今の段階では未定で、決まり次第お知らせいたします。
受講を検討してくださっていた方々へは、大変申し訳ありませんでした。
講座の延期は予想外の色々なことが重なったことで決めたのですが、この春に誕生した赤ちゃんに障害があったことも理由のひとつです。
誕生以降今まで検査してきた結果、幸いなことにいのちに関わる部分は正常なようで、この点は本当に良かった。
結果として、障害のレベルは大したことないもの(← 個人的な見解)でホッとしています。
ただ、今住んでいる町には専門医がいないため、車で4時間ほどの場所にある大きな病院にかかることになりました。
頻繁には通えないので、どうなることやら・・・
個人的なことを言えば、出産直前に肋骨を損傷したことや、自然分娩が叶わず急遽帝王切開となり、出産直後に赤ちゃんの異常がわかり障害の検査を進めていったこと、予定していたもろもろのことを諦めたことなどで慌ただしく過ごしているうちに、ストレスもそれなりに感じていました。
そんな中でずっと続けている、内観。
自分がどんなことを考え、どんなことに反応し、どんな感じ方をしているのか。
これは非常に役に立ちました。
外側のできごとは、いつ何時何が起こるかわかりませんよね。
それらひとつひとつを「良いこと」と捉えるのか「悪いこと」と捉えるのか、それともただただ受け流すのか。
その選択権は、私たちが握っています。
しかし、外側の出来事を受けて自動的に沸き起こる思考や感情は、そのものがあたかも「当たり前」であるかのように振舞います。
つまり、私たちは「このような出来事があったらこう感じる」ことが「当たり前」という捉え方をしてしまいがち。
本当は個人差があり、同じ出来事でも捉え方は変わります。
多様な概念を持っていない幼い子と、大人である私たちの捉え方だって大きく違いますよね。
それなのに、私たちは「当たり前」という感覚を持ってしまいがちなため、容易に不幸になってしまう。
外側の出来事と反応して幸せにもなれるけど、同じように不幸を作り出すことも実はとても簡単なのです。
障害を持った子を産むということは、親として、我が子を眺めるにつけ悲しみやら罪悪感やらが沸き起こることもあるでしょう。
それはもちろん「当たり前」のことです。
私たちはそのような感情を持ち、思考を巡らせるようにできています。
そのため、こういったことを否定するのではないですよ。
こんなこと言ってる私だって、子の障害が大したことないレベルでも、やはりそれが分かってからはいろいろな感情が渦巻きました。
ただね、そこにとどまる必要はないのです。
自分の感情や思考にすっぽりとはまり込み、そこに囚われてしまい、抜け出せなくなる必要は全くないのです。
私たちのいのちは、時間です。
限られた時間をどのように生きるのか、また、どのような生き方を我が子に見せたいのか。
ここら辺を考えてみると、自ずと答えが見えてきます。
親として罪悪感を抱えたまま生きて、
その姿を子に見せ続けるのか?
あるいは全てを受け入れて、
上を向いて歩く姿を見せ続けるのか?
前者の場合、罪悪感を抱える方法を日々子どもに教えているのと同じです。
後者であれば、この先どんなことがあってもそれを乗り越えるちからを与えることができるのではないでしょうか。
また、子どもは親に受け入れられたと感じやすくなります。
生きていればいろんなことがありますよね。
だからこそ自分の思考や感情を見つめ、外側の出来事に翻弄されるのではなく、主体的に自分の人生を作り上げていきましょう。
その姿勢を貫けば、必ずお子さんへ輝かしいものを渡していけますよ。
カウンセリングは、こころが弱いから受けるのではありません。
定期的に健康診断を受けたり、温泉やマッサージに行ったりして自分の身体を自分で管理するのと同じで、こころの状態も健康に保つべく管理し、自分自身を慈しみ、よりよい人生を送るために活用できるもの。
つまり、✨自分の人生をより自分らしく輝かせて生きるためのもの✨なのです。
ぜひご活用くださいね。
*お知らせ*
親教育の翻訳に関わる企画を優先させるため、
しばらくカウンセリング業務はお休みします。
再開時期が決まりましたらお知らせいたします。
赤ちゃん手話×おむつなし育児講座は、
開講準備が整い次第、お知らせいたします。
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◎コミュニケーションのヒント