先日、中学生の息子がゲームばかりしていることに怒りを感じているお母さんからの、新聞への投書について書きました。
この記事に関連し、今日は「枠(わく)」のお話です。
これを知っていると、旦那さんやお子さん、あるいはお姑さん、職場の人間関係や友達関係で、なぜ自分がイライラしたり怒りを感じるのかが客観的に見えてきますよ☝️
私たちは、何の概念も持ち合わせていなかった赤ちゃん時期から、子どもになり、色々な概念を吸収し、採用しながら大人になりました。
例えば、「排泄はおトイレで🚽」というのもこれに当てはまります。
赤ちゃんは、おトイレであろうと床であろうと構わずに、排泄さえできればスッキリ気持ち良く、後始末なんて考えずに寝てしまいますよね。
赤ちゃん時期はこれが当たり前ですが、特別な事情がある場合を除き、このまま大人になってしまっては社会的な生活ができません。
そのために私たち親は、赤ちゃんの成長とともに「排泄はおトイレで🚽」という「概念」を教えていくのです。
食事も同様に、手づかみ食べを経て「食器を使って食べる🍴」ことを教え、「服を着ること👚」「靴を履くこと👞」を教えていきます。
これが、私たちが成長に伴って行う「概念」の吸収です。
良いも悪いもなく、ただ人間的で、社会的な生活を営む上で必要不可欠な学習だと言えるでしょう。
私たちが大人になるまでに学んできた概念は、上記のような生活に密着する概念ばかりではありません。
「学校では良い成績をとらないといけない」
「最低でも高校は卒業しなければならない」
「目上の人の言うことには従うべきだ」
「職場ではイヤな仕事であってもきちんと遂行すべき」
「女性は子どもが産まれたら専業主婦になるべきだ」
「女性は子どもが産まれても、フルタイムで働くべきだ」
「保育園 / 幼稚園 / 学校はこうあるべきだ」
「政府はこのようなことをすべきではない」
などなど、自分のこころを見つめながら書きあげていったらいくらでも書き続けられるほど、私たちの頭の中はこういった「概念」で埋め尽くされています。
これらの「概念」は、普段から自分がこれを持っていると自覚している「信念」や「信条」とは少し違い、無意識領域につまっているため、(中には微妙な位置づけのものもありますが、)大概の場合は敢えて見つける作業【内観】をしないことには見えてきません。
そして、私たちは日々無意識のうちに自分の中にある概念に基づいて行動しています。
尿意を感じたら何も考えずにトイレに向かうのは、無意識領域にある「排泄はおトイレで🚽」という概念によるものです。
これが信念、信条と違うというのは、「私はトイレで排泄するという信念を持っています」とはならないためです。
私はこれらの「概念」を、「枠(わく)」と呼んでいます。
額縁、フレームのようなイメージです。
私たちは、自分の頭の中に無数に存在している「枠」の中に当てはまる行動をすると落ち着くし、それが自分にとって自然な行動となります。
逆に、自分の持つ「枠」におさまらない行動を取ったり、思いがけず「枠」の外に出てしまうような状況に陥ると、こころが落ち着かず、ストレスを感じます。
例えば「スマホのゲームをし続けてはいけない」という「枠」は、子どもがスマホのゲームをし続けるのを見ることで発火します。
しかし、飽くまでもたとえ話ですが、「スマホのゲーム」どころかスマホすら何だかよくわかっていないひいじいちゃん、ひいばあちゃんからしたら、「よくそんな難しそうなことを器用にできるねぇ。うちのひ孫は天才かもしれない!(喜」なんて、感動してくれるかもしれませんよね。
なぜなら、この場合ひいじいちゃん、ひいばあちゃんは「スマホのゲームをし続けてはいけない」という「枠」を持っていないから。
(それどころかむしろ、「ひ孫サイコー!」という枠を持っているかもしれませんよ^^)
「枠」は、自分もそこに当てはまらなければ落ち着かないのと同様に、他者もそこに当てはめたくなってしまう性質を持っています。
簡単に言えば、これが、私たちの持つ「枠」の作用です。
そして大事なことなのでもう一度書きますが、この「枠」自体、決して悪いものではありません。
私たちは「枠」を持っているからこそ人間的で社会性のある生活をしていけるのであり、「枠」を持たないことには今のような生活を営むことが難しくなってしまいます。
ただし、ここまでお読み頂ければ薄々気がつかれているかと思いますが、自分の中に存在する数えきれない「枠」の数々をよくよく見ていくと「この枠は要らないな」と思えるものも、私たちはたくさん持ち合わせているのです。
まさに、玉石混合です。
ちょうど、自分に似合わなくなった服や、しっくりこなくなった靴を処分するように、要らなくなった「枠」を手放していくとどうなるか・・・・。
これをするとこころがスッキリしたり、今まで自動的にイラッとくる感情に翻弄されていたことが、不思議なほどにすーっと沈静化していくのを感じられるでしょう。
お子さんや旦那さん、あるいは職場の人との関係性に悩んでいる場合、良い変化が出てくると思います。
では、どうやったら自分の中から不要な「枠」を見つけ、処分していけるの?
また、家族や他人の持つ「枠」に翻弄されてしまう場合、どうしたらいいの??
ここらへんに関しては、到底ブログに書ききれるものではないため、これから教科書的なものを作っていこうと思います。
実際のところ、私にとってこのように自分を見つめていくという作業は、2011年の被災、その後の避難別居、離婚、親権争いから人生のどん底を体験し、泥沼人生劇場を数年に渡り真剣に(?)演じ、もうダメだ〜と思った時、劇的に回復するきっかけとなりました。
問題は外側にあると信じていた時期が、今となっては懐かしいくらいです。笑
完成はいつになるやら、ですが、お楽しみに!
カウンセリングは、こころが弱いから受けるのではありません。
定期的に健康診断を受けたり、温泉やマッサージに行ったりして自分の身体を自分で管理するのと同じで、こころの状態も健康に保つべく管理し、自分自身を慈しみ、よりよい人生を送るために活用できるもの。
つまり、✨自分の人生をより自分らしく輝かせて生きるためのもの✨なのです。
ぜひご活用くださいね。
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